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集団幻想と実在(45-)
欲望とは、実在するものを生産するものなのだ。別の仕方でいえば、欲望する生産は社会的生産とは別のものではないのだ。
欲望する機械=社会的機械(技術機械、幻想機械)
欲望する生産と社会的生産との間の体制の相異(46-)
【第一の相異】
社会的機械(技術機械)
調子が狂わないこと=生産手段と生産物の厳密な区別→生産物に対する価値の移転。
欲望する機械
絶えず調子を狂わせること=芸術作品
【第二の相異】
社会的機械
反生産(器官なき身体)が外的条件から生じる。
技術機械は経済的カテゴリーではない。
「技術機械はひとつの社会体、すなわち社会機械を指示している。」
→抑圧の働く場(二次的)
欲望する機械
反生産(器官なき身体)がまったく自分自身の中から生じる。
「欲望する諸機械は欲望の経済学の基本的範疇」である。
→根源的な抑圧の働く場
したがって、器官なき身体の状態、あるいはその等価物によってあらゆる事態が決まる。
つまり、器官なき身体が内から生じてくる帰結であるのか、それとも、外から到来する条件であるのかに従って。(この相異に応じてとりわけ、死の本能の役割が変化するのである。)(47)