A.J.グレマス『構造意味論―方法の探求』田島宏ほか訳,紀伊國屋書店,1988.

科学的意味論の諸条件
1.意味論の状況

言語学は厳密に形式化された学問であり、1950年代のフランスにおいて特権的な地位が与えられた。しかしその結果、

  • 言語学の「陳腐化」。言語学の用語や方法の歪曲が起こる。
  • メルロ=ポンティレヴィ=ストロースetc…による認識論的[épistemologique]な探究へ転用された。しかし、この認識論的なモデルと各領域における適用可能性のあいだをつなぐ、方法論的な触媒[catalyseur]がなかった。


多くの要求に取り囲まれながらも、言語学は意味論的研究に対してためらい、敵対的な姿勢をとった。その理由は、

  1. 意味論がひとつの均質的な対象をもっているのか、その対象が構造分析に適しているのか、すなわち、意味論を言語学のひとつの領域とみなすことができるかどうかを考えなければならなかったから。=意味論に固有の方法、その対象の構成単位を規定する困難さ。
  2. 行動心理学に依拠する言語学の勝利。ブルーム・フィールド=言語記号とは「意味を有する音声形式」で、「その意味についてわれわれは何も知ることができない」。


表意作用[signification]の科学的研究の困難。
・研究規模の著しい広範さ。意味論は自然言語を研究対象としているが、その記述は、ソシュール的な意味での記号学というより一層広範な表意作用の科学の一部をなしている。


2.表意作用と知覚
われわれは知覚[perception]こそ、表意作用の把握がなされる非言語的な場所だと考えることを提案する(メルロ=ポンティの知覚理論は20世紀全般の人間科学の態度であり、個人的には認めている。)=これによって言語学的な意味論とソシュール的な記号学との区別は保留しなければならない。

→したがって意味論は感覚的な諸性質の世界[あるいはsens commun]の記述に限定される。=感覚と感覚作用との区分の否定につながるのではないか。

操作的術語の基本要素
「知覚レベルで表意作用の出現を可能にし、またまさにその瞬間に、人間の外に存在するものとして認められる要素ないし要素の群を、表意体[signifiant]の名で呼ぶことにする。また、表意内容[signifié]の名のもとに、表意体によってカバーされ、その存在のおかげで表出されている、一つあるいは複数の表意作用を指し示すことにしよう。」(8)

表意体と表意内容は相互に前提しあって存在している。この相互前提は定義されない唯一の論理概念であるが、イェルムスレウにならって両者を定義することができる。
われわれは仮に、この表意体と表意内容の結合を表意集合[ensemble signifiant]と呼ぶ。

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Thomas F. BRODENによるグレマス(A.J.Greimas)についての論文を一本。
ソシュールのラング概念、また、それを継承した構造主義の特性である、「等質性(つまり、言語体系内のあらゆる要素には価値の有と無があるだけであり、あらゆる要素は均質である。価値は要素そのもの(たとえば素材や量)によって規定されるものではない。)」や「全体性」は、当初言語学が無視した、歴史的、社会的意味論や、詩、レトリック研究を包括する可能性を持っている。したがって、ソシュールを現代において再考することは、言語の科学、人間科学にとって新たな計画を構成するのを可能にする。


意味論から、とくに言説分析へと展開される流れよりも、より包括的なソシュール言語学の読み直しをする後期が興味深い。La sémiotique des passions.(1991)なんか面白そう。