シネキャピタル

シネキャピタル

これほど的確に『シネマ』の論旨を描き出した本があっただろうか。廣瀬純氏『シネキャピタル』はまさにドゥルーズの『シネマ』の最良の解説書である。と同時に、廣瀬氏は『シネマ』は革命の書であると断言する。

映画の変遷が経済あるいは政治的情勢の変動と呼応していることは素人目にも分かる。廣瀬氏が言うように、ヒッチコックが演者である鳥に対し、鳥それ自体の価値に準じた賃金だけを支払いながら、その鳥が「ヒッチコックの鳥」になることで生じる価値と賃金との差額を丸ごと搾取するのは、スターバックスの店員がコーヒーを売るという行為に対してのみ支払われる賃金以上に生み出す、店の雰囲気、笑顔での接客といった剰余価値を、経営者が丸ごと搾取するのと同じ図式だ。映画と経済形態は呼応している。しかし、廣瀬氏の主張はもっとラディカルである。すなわち、映画とは資本の問題であり、それ以外の何物でもないということだ。映画史はそっくりそのまま現代の経済史であり、ゆえに『シネマ』は19世紀から現代にかけての世界を忠実に描き出している。

クリスティアン・マラッツィのポスト・フォーディズムも、「まぁ、そりゃそうでしょ」と現状分析にしか思えず、ベーシックインカム論が「働かざるもの食うべからず」に対する拒否であるのは分かるがいまいちその新奇さに疑問を持っていた者にとっては、いろいろなことが腑に落ちた。「シネマ」を革命の書として読むこの『シネキャピタル』こそ、これらの議論の革新性を掬いだすことを可能にしてくれる。