全体主義 (平凡社新書)

全体主義 (平凡社新書)

全体主義とは、教科書的に言えば、「生命主義、権力主義、民族主義、ローマ精神、恐れを知らない大胆な男らしさ、技術主義、戦士共同体、暴力と征服、帝国主義的拡大政策といった、文化的に多種多様な神話や価値観を融合させるために、ファシズム体制が用いたイデオロギー」(35)のことである。
アドルノの言を俟つまでもなく、近代の合理的理性の帰結がアウシュヴィッツ絶滅収容所であったことを自覚することなく、われわれの実存や生命を無条件に、楽観的に肯定するような言説に組することは無意味であり欺瞞である。というよりいささかゾッとする。ハイデガー国粋主義的な論脈から頭ごなしに否定するのではなく、そういった歴史的事実性を請け負った上で、それでもなお彼の思想を肯定的に捕らえるような視点を提示することが大切だということだ(アドルノベンヤミンの仕事の一端はそうした反省の上に築かれている)。
本書は、全体主義という概念が、自由主義共産主義といった時代ごとに異なる概念間において形成される布置のなかで、いかなる意味を持っていたのかを分析し明確にする系譜学である。たとえば、「鉄道や化学工場を建築するために、何百万もの人間を強制的に移住させ奴隷化して用いた」スターリニズムと、「人間を殺すために鉄道や化学製品を用いた」ナチズムを比較してみれば、それらを「全体主義」としてひと括りにすることがいかに横暴であるかが理解される(同じように、全体主義国家とファシズムを区別し、さらにファシズムの分類を行うことで、ある種のファシズムに政治な共同性を形成する肯定的な力を見出そうと試みたのが『千のプラトー』である)。