とどきますか、とどきません。

勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ

研究会の合間を縫ってジュンク堂新宿店で購入した『勝手にふるえてろ』を一気に読む。問いを立てたうえで、問いそのものを破壊するのが川上未映子だとすると、いくつもの描線や点描を重ねることで、ひとつの解答を浮かび上がらせるのが綿矢りさだと思う。

人の感情や行動なんてものは単純な因果関係で成り立っているわけではない。人は頭でものを考えた後にそれを語るのではなく、語りながら考えることもあるし、何も考えずに話始めたものを自分の考えであったと錯覚することもある。ましてや誰かしら常に相手がいるのだから、相手の言うことを馬鹿にしつつも同意しているように見せたり、正直な本当の自分の思いを吐露した途端、相手に拒絶されることもある。そんな一瞬一瞬の無数のやりとりが、人の感情や状況を作り、変化させる。だから、相手や自分にとっては単なるひとつの感情や行動も、無数の要素と複数のパースペクティブを内に含んでいる。そしてこれがリアルを作る。
だから綿矢りさの文章は、全く道徳臭くも説教じみてもない真理を描くことができている。(内容に関わるので漠然としか言いませんが)本の冒頭に置かれた命題と、最後の解答は傍から見れば全く同じ。しかし、概念内容は全く水準が違う。凡庸な解答で妥協するのでも、諦めて引き受けるのでもない。凡庸さを限界まで引き上げた先に真理を見せる、そんな作品でした。

凡庸といえば、論文や研究発表の際、凡庸なタイトルしかつけられない僕は、こういう優れたタイトルをつけられるセンスがとてもうらやましい。